小学校の社会科見学以来?、ン十年ぶりに高塔山に登ってきました。
まだ、関門大橋が開通する寸前でしたので、写真の若戸大橋は『東洋一の大吊橋』と言われていたような気がします。
今考えると、この東洋一という表現の仕方も古いですねー
当時はまだ、新幹線も博多まで通じておらず、福岡市の人口も100万人に達していなかった?と思います。
まだ北九州市が九州を代表する大都市で、北九州は都会だなーって印象でした。
こうして年をとってからあらためて見ると、『意外にちゃっちいな』とか、『ゴールデンゲートブリッジを意識しているなー』、とか、うがった見方をしてしまいますが、子どものころには素直に『大きいなー』と感じたものです。
かなりご年配になられた『若戸大橋』さんも、こうしtて写真で撮ってみると、すごく町の景色に溶け込んでいて、すごくいいわー。
こんどは三脚も持っていって、夜景も撮ってみよう。っと。